5、 高校時代
でも、高校時代は甘くはなかったんです。
そのころの私の夢は 宝塚歌劇団のスターになることでした。みなさん、宝塚歌劇団って知っていますか?大阪の宝塚市にある、女性だけの歌ったり、踊ったり、お芝居をする劇団です。合格するのは50人に1人ぐらいの、とっても難しいところです
そこで、高校2年生から、踊りのバレエを習い、宝塚市まで土曜と日曜日を使って、片道6時間かけて、受験スクールにレッスンに通いました。日本舞踊やタップダンスやジャズダンス、とても厳しいことで有名な宝塚流のお作法やお行儀も習いました
その頃の自分は、今まで成績優秀で、勉強だけじゃなく体育や美術とかもそれなりになんでも出来て、歌もいつも褒められていたし、とても調子にのっていたなあと思います。調子にのっていたっていう意味わかりますか?
私がなんでも一番よ!みんなこんなに出来ないでしょう?と、偉そうになっていたんですね。
それが、城東高校はみんな中学校で成績が1番や2番のような優秀な生徒が集まってきていて、出来る子の集まりだったし、宝塚受験ではもっとバレエもできたり、可愛い子も沢山いて、どうしよう!となってしまいました。そこで必死に頑張りました。
平日はお勉強に、電車通学に、歌やピアノ、バレエのレッスン、土日は宝塚に通いお受験をしながら、学校ではミュージカルの主役とリーダーもしていたので、おうちでゆっくりご飯を食べる時間もなく、今考えても大変な生活をしていたなあと思います。
ついに 心と体が悲鳴をあげて、崩れていってしまい、体も心もボロボロの状態で望んでしまった宝塚受験に落ちてしまいました。。
続く
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